開け閉め

力強く閉めると反動で数センチ開く

競技クイズとファンキーコング

一つ早押しクイズの問題を出そう。実際に出されたやつだ。

 

問題:グランプリの150CCをすべてクリアすることで開放される、左右逆になったコースを走る『マリオカート』シリーズのゲームモードは何でしょう?

 

マリオカートをやった事がある人ならすぐに分かっただろう。答えは「ミラー」だ。文章を頭から読んでいくと、どこかのタイミングで「ああ、ミラーか」と答えを思い出す。その瞬間にボタンを押せば、あなたはこのクイズに正解することができる。(無論、他の人が押していなければの話だが)

問題を聞いて、どこかのタイミングで答えが分かって、ボタンを押す。これが早押しクイズの最も基本的なシークエンスだ。そこで未経験者のあなたはこう思っていることに気づく。単調で、無機質で、非生産的で……つまらないと。これがメンタリズムです。

 

でもちょっと待ってほしい。冒頭のクイズの答えを思いついたとき、あなたは「ミラー」という言葉を思い出した。だが本当にそれだけだったか?あなたはその時、ミラーの3文字だけではなく、かつて遊んだマリオカートの記憶――ひたすらタイムアタックに打ち込んだこと、1位のときに限ってキノコやトゲゾーに連続で襲われてめっちゃイライラしたこと、風船を膨らませるべくDSのマイクに息を一生懸命吹きかけたこと、壁や天井を走れる新作にびっくりしたこと、キャラ差は無いように見えて実はファンキーコングがちょっとだけ速いということ(これはマイナーかもしれない)――がいっぺんに頭に蘇ってきたはずだ。蘇ってこないなら今からでも遅くないからマリカーを買ってくれ。やっぱり名作はいつ遊んでも面白いから。すなわちあなたは「150CCをクリアするとミラーが出てくる」ということをただ脳内に知識として保管しているわけではなく、色々な思い出や関係のない感情とびっしり連結した記憶の網の一箇所に固定している。だから、クイズの答えを思い出すことはあなたの人生を思い出すこととリンクしているのだ。

 

極論を言ってしまえば、クイズの問題というものはすべて誰かの人生をなぞることに帰結すると思う。事象は、人間によって規定されて初めて知識たりえるからだ。そうしてできた問題を、自分の人生という手札をうまく使って処理していく。10人いれば10人が、全く違った人生を歩んできている。だからクイズのボタンに10人がつけば、各々が多彩きわまりない手札を使って全力で問題に答えようとする。僕はそれが楽しくてクイズをしている。ちなみに極まってくると先述の「記憶の網」が全てクイ研の部室の中の記憶だったりするが、そういう状況になる頃にはもうクイズに洗脳されきっているはずなのでここでは考えないことにした。