開け閉め

力強く閉めると反動で数センチ開く

割り箸の利便性に違和感がある

割り箸の利便性に違和感がある。

いやなにも、割り箸が不便だと言いたいわけではない。むしろ便利すぎるという話をしたい。保管性と携帯性が良すぎるという話を。

そもそも箸って「先端を汚しちゃいけない2本の棒」なわけで、本来丁寧に扱うべきな代物のはず。それが割り箸になったとたん猛烈に扱いが雑になって、袋にミチミチに詰まってバーベキューに持ち込まれたり、ケータリングの弁当箱に括られてたり、レジ袋の上の方に雑に放り込まれたりする。しかもそんな雑な扱いを受けていてもすぐに使える。

使い捨てだから便利だという側面はあるかもしれないが、それにしても割り箸は強すぎる。使い捨ての歯ブラシとか紙コップとか石鹸とか、そういうのと比較しても圧倒的に雑に使えるし便利な気がする。

他の使い捨て商品との違いといえば、割らないと使えないところくらいな気がするが……。「2つがくっついてる」だけでこんなに便利になることあるか?

割り箸とほかの使い捨て商品とを比較すると、割り箸の包装の単純さが際立つ。紙皿や紙コップのような使い捨て商品はたいてい使う直前にビニールの包装から1つずつ取り出さないといけないのに対し、割り箸は箸袋からサッと取り出すだけで使えるようになる。強すぎる。この違いはどこから来るのか?

自分なりの解釈として、「割り箸は未完成だから便利」という説を立ててみた。

すべての使い捨て商品には包装が必要だ。ビニールで包んだり、箱に入れたりする包装をすると、使用するために包装を開けるひと手間が必要になる。 この「開けるのに手間がかかること」は、包装という概念にとって重大な意味がある。開けるのに手間がかかるからこそ、商品は外界と遮断されていること(≒清潔であること)や、未使用であることが証明される。

そして「包装を開けること」は、開けた瞬間に初めて商品が使えるようになったことを意味する。ということは、包装は「完成した商品を意図的に未完成(完成一歩手前)に戻している」と言えるのではないだろうか?商品がビニールに包まれたり紙箱に入った状態ではまだ未完成で、それらを切ることではじめて紙コップやおしぼり等が「完成」するという考え方だ。封なんて開けなくても商品はとっくに完成しているが、使用者から見ればまだ「未完成」ということ。そして使用者がビニール袋を切って、未完成なものをその手で完成させる。これが「開封」だ。

で、割り箸の話。割り箸を使うときには、「自力で2つに割る」というプロセスが挟まる。この「割る」という行為がめちゃくちゃ強いのだ。

割り箸は2本の箸がくっついているという部分が、「完成した商品を意図的に未完成に戻す」という包装の本質に沿っている。つまり、割られてない状態の割り箸は「包装された状態」だと呼んでも良さそうだ。だが、この「包装」は他の包装と比べて根本的な部分に違いがある。この状態の箸は、本当に未完成なのだ。割り箸の製造工程についてはよく知らないけど、多分切り込みのいっぱい入った板を棒に切り分けるというのが最後のプロセスなんだと思う。その最後のプロセスを使用者に託すことで、「開封」と「製造」を同時に行わせている。無駄なことを一切していないのだ。完成している製品にパーツを追加してわざと未完成にする「包装」とは異なる。

割り箸は保管している時点では本当に未完成なので、箸が普段持っている「2本あるので扱いづらい」みたいな性質をもたない。割るまでは箸はどこにも存在せず、使用者が割ることで初めて、「開封」と同時に割り箸が完成し、さながら無からお箸が出現するかのような感覚で使用できる。

完成一歩手前の状態で直接提供しているから割り箸は便利だし(なんか激安スーパーみたいな表現だな)、他の2つ組の使い捨てのもの(ホテルのスリッパとか)はくっついていても大して便利にはならない。最後に2つに切るみたいな製造工程じゃないから。

割り箸に乾杯。